2010年12月2日木曜日

立ち位置 ②釣堀

ここの読者はお気付きのことと思うが、僕にとって釣堀は釣りではない。
自然の中での釣りと釣堀を分け隔て無く楽しんでいる人が殆どだろう。
中には管理釣り場専門でテクニックを磨居ている人も多いと聞く。
別にそういう皆さんの嗜好を否定するものではない。考え方・好みは人それぞれ。
あくまで僕自身が「釣堀は釣りではない」と思っている少数派に属しているのだということ。
僕も、連れの人が行きたいと言ったら一緒に釣堀に行くしね。
釣りは原始、狩猟と同じく日々の糧を得るための戦いだった。
他部族との戦闘とかいったものは、現代ではルールのあるスポーツに昇華していった。
それに対し、遊びの要素が殆どになったとはいえ、釣りは今尚も原始の形をとどめている稀有な例だ。
狩猟の方は、対象資源の枯渇と「かわいそう」「野蛮」といった批判から、かなり活動が制約されている。
しかし狩猟の立派なところは「管理狩猟場」とかがなくて、今も野生動物のみを対象としていることだ。
釣りに戻ると、野生の魚がまだまだ居るのに、なぜか釣堀・管釣りの隆盛は続いている。
釣れないのはつまらない、大きいのが容易に釣れるほど楽しい、そういった需要に支えられているのだろう。
僕としては、自然との対峙という大前提を忘れてそのように安易に結果を求めることが全く理解できないのだ。
そもそも釣りの行為の90%は、大自然の魚が居ないところに自分の釣針が有って、無為に時間が過ぎるものなのだ。
このプロセスをショートカットして、人為的な区画の中に営業上の配慮による数量の魚を投入して釣らせる。
そりゃ釣れるわな。釣れなきゃ次に客は来ないしな。
釣堀で釣れた? So what? と言いたい。魚屋で買えよと、池干しして魚を全部回収しろよと言いたい。
大きいのが釣れるって?そりゃ大きいのを投入してるからよ。大物の引きが欲しければ、こんなのどう?結構引くよ。
犬の2
え?何か?(笑)
狩猟に例えると、養豚場で豚を撃ったりシラチャ・タイガーズーで虎を撃ったりして「獲ったど~」、と言うのと同じでしょ。
これじゃ無記録、対象外。野生を相手にしてはじめて狩猟なので。
昆虫採集で言うと、人間が一度でも触れた虫はもう自然物ではなく、採集価値はゼロ。
他の遊びでは、そこまで人間と自然との対峙は厳しく認識されているのだ。
その点、釣堀はいかがなものかと思う。小鮒でもデキハゼでも、ネイティブ1匹の方に無限大の価値を感じるわけよ。
でも環境への配慮の高まり、野蛮行為の定義拡大の流れから見て、釣堀はこれからどんどん伸びると考えられる。
一方、遊漁区域・期間の制限→匹数・大きさの制限→釣り方の制限→全面禁漁という、自然での釣りの縮小が続くだろう。
将来、最終的には釣堀だけになるかもしれない。
最後、釣堀だけになったら、僕は竿を置く。大自然を相手に悪戦苦闘したあの美しい日々を思い出にして。